東日本大震災こども未来基金:作文
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第1次選定者の作文 - 2: 「学校で学びたいこと」
(名前のアルファベットは、便宜的なもので、イニシャルなどではありません)

CAさん(福島県・中2、父をなくす)

 私が中学校で学びたいことは、物や人を大切にすることです。3月11日におきたM9・0の東日本大震災では大切な家、お父さん、友達、ペットそして大切な宝物までなくしてしまいました。
 地震がおきたとき私は先輩と友達と一緒に部活をしていたので大丈夫でした。私はその夜連絡がつかなくなってしまったお父さんをすごく心配していました。けれども先生方が私をなぐさめてくれたので少しホットしました。
 次の日私達は、はまなす館に移動しました。私はそこで物の大切さと人の大切さを知りました。私は家が流される前はまだ使える物などをすぐに捨て新しい物を買ってばかりでした。けど震災があって物がどれほど大切なのかを知りました。人の大切さを知ったのも避難所の生活でした。お父さんや友達が居たときには「ウザイ」や「死ね」とか言ってばかりでした。実際に友達やお父さんをなくしてすごくショックでなんでお父さんと友達なの?と言ってばかりでした。本当に亡くなったときはただボーゼンとしていました。この震災がなければ大切な家、友達、お父さん、宝物、ペットをなくさなかったのに。そして○○で有名なホッキ貝や小女子なども食れたのに夏は○○の海でたくさん遊べたのに…。と今でも思っています。私は津波だけは許さないと思いました。
 だから私は、○○中学校で物と人との大切さを学びたいと思いました。
 今後○○が平和なところに戻るように…。(○○は原文では地名)

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CBくん(宮城県・中2、母をなくす)

 今僕が好きなことは野球です。今秋末中総体があります。3年生最後となる大会で、それに向けて毎日練習に励んでいます。
 震災にあった日、僕たちは次の日から始まるはずだった大会に向け、チーム一丸となっていました。しかし2時46分、大きな地震に見舞われ、試合どころか、校庭や野球場には、次の日からテントが張られて練習すらできなくなりました。震災から5日後、いとこ達が○○の親せきの家に行ったことを知り僕も行く事にしました。その間はチームメイトと離れて、キャッチボールのひとつもできなくなり、早くみんなと野球がしたくて体がウズウズしていました。また以前のように野球がしたかったので、帰る事にしました。○○に帰るとみんな元気でした。チームメイトとキャッチボールをした時はあっという間に時間が過ぎました。またみんなと野球ができるとうれしいと思った時、「ハッ」と気づきました。グローブや野球道具を流されてしまったチームメイトがいるという事に最初はチームメイト同志、数少ないグローブ等野球道具も交代で使い練習をしました。数日後顧問の○○先生のお知り合いの人がグローブや練習着など、たくさんの野球道具を集めて持ってきてくださいました。その後チームメイト全員でお礼の手紙を書きました。その後もたくさんの方々から、野球に必要な物をいただきました。いろいろな方々から支援をいただき、練習場所や練習時間は限られていますがまたみんなと野球ができるようになり、毎日学校へ行くのが楽しみです。感謝の意味も込めて、中総体ではまず1勝目指してがんばります。そしてチームメイトのために、3年生の先輩のために、学校を盛り上げるために、ぼくはがんばります。
 僕がこれから学びたいのは、野球です。それは野球が大好きだからです。
 もうひとつ学校で学びたい事があります。それは英語です。なぜかというと、それは母ちゃんが英語が得意で教えてもらったからです。ほかにもアメリカで野球をしたいので英語をがんばりたいです。
 野球では協力、あきらめない事、団体行動などを学び、英語では野球のあきらめない事をいかして、もっと成績を伸ばしたいです。(○○は地名や人名)

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